フラットホワイトの午後

手帳のこと、本のこと、映画のこと。

手帳はいつも私の相棒・6

私にとって手帳が特別な存在である理由

↓前回のお話

fwapricot.hatenablog.com

私にとって、手帳は人生を動かしてくれる心強い相棒だ。自分自身が変わろうともがいている時、思い返すと、私はいつも手帳に助けられていた。

「手帳」というもの自体が大好きなので、どの手帳にしようか迷っている時も、新しい手帳に初めて文字を書き入れる時も、ものすごくワクワクする。フィットしないとすぐ買い替えがちなので、うまく使いこなせなかった手帳も、ほとんど使わずに無駄にしてしまった手帳も、数えきれないほどある。でも、どの手帳も、最初にもらったワクワクだけでも十分すぎるほど心の栄養になっていたと思う。

存在する手帳フォーマットは、どれも誰かが編み出した最高のツール。私もいつか「これが私の定番」「これが私の使い方」を確立したいとぼんやり夢見ていたが、どうも私はそういうタイプではないようだ。その時々の自分に合うものを臨機応変に使っていくのが私らしさなのかもしれない、と思うようになった。

多分、私にとって一番大切なこと

私は手帳が大好きだが、何らかの目的のために物事を進めて叶えていくという過程そのものが好きなのだと思う。手帳は、自分の意志の化身であり、ブレずに進んでいくための地図のようなものであり、進んでいく過程のワクワクを何倍にも増幅させてくれる、楽しく頼もしい相棒だ。

特に必要性を感じなくなって手帳を使わなくなった時期もあったし、追い立てられるようで、縛られているようでしんどくて、あえて使うのをやめたこともあった。おそらくそれは、自分の意志が希薄になってしまっていた時なのではないかと思う。

つまり疲れていたのだと思うが、それに任せて意志を手放してしまうと、さらにもっと辛くなる。多分、意志なくフワフワしていると、周囲のノイズにのまれてしまいやすくなるのだと思う。些細なことにもすべて反応して、傷ついたり落ち込んだり腹を立てたり振り回されるうちに、いつのまにかエネルギーがなくなってしまう感じだ。

「何もしない」「頭を休ませる」でもいいのだ。なんとなく離脱するのではなく、意志を持ってそれを「目的」「目標」にすればいい。その時は、手帳も真っ白でOKなのだ。