フラットホワイトの午後

手帳のこと、本のこと、映画のこと。

モレスキンのノートが好き<ハードカバー編>

単なる憧れと好奇心かと思っていたら、予想外にハマってしまったモレスキンノートのお話。

その昔、「ゴッホピカソが使っていた」というコピーにロマンを感じ、手に取ってみたらノートにしてはめちゃくちゃ高価でなかなか購入に至らなかったモレスキン。「使ってみたい」という好奇心だけでは踏み出しにくい価格だったので、似たようなデザインのノートでもっとお手頃価格なものを使ってみたりしていた。

が、使い始めても長続きせず、高いお金出して本家を買わなくて良かった・・・!と思っては、一定期間経つとまた類似商品を買ってしまってまたすぐ飽きる、の繰り返し。これはもしや本家を使ってみるまで永久に繰り返すのでは・・・(^_^;) だったら本家を一回買ってしまった方がむしろずっと安い!と、やっとモレスキンを使ってみるに至ったのが10年ほど前だっただろうか。

以降、結構な数のモレスキンノートを使ってきたと思う。どうせすぐに飽きてしまうんだろうなぁという予想を裏切り、なんと本当に気に入ってしまったのだ。(^_^;) お金かかる、、でも、何かで代用して飽きて無駄にするのも十分お金かかっちゃってるし、ノートはあくまでツール、好きで楽しく快適に使えるなら少しくらい投資しても安いものなのではないか・・・!

最初に使ってみたのは、代表的なタイプのクラシカル ハードカバー Large。最初の一冊がどれだったか記憶が曖昧だが、確かルールド(横罫)で色はホワイト。ルールドのホワイトは、自分の好きなものを集めるノートにしよう!と、写真を軽くスクラップしながら書いているうちに、だんだん欲しいもの(主にファッション系)を買う前に検討するためのノートみたいになっていった。あの使い方、楽しかったなぁ。

海外旅行に行く時、いろいろ書きとめる用にと思ってクラシカル ハードカバー Pocketを持って行ったこともあったし(これは失敗 ^^; 旅の記録にはFacebookに写真と一緒にメモする方が簡単で勝手が良かった)、今年の手帳はシンプル&ミニマムにいきたい!と思ってダイアリー Pocketを使った年もあった。一時期習っていたフラの振りをメモするためのノートも、初めてやってみたバレットジャーナルも、クラシカル ハードカバー Largeだった。どうも、「よし!やるぞ!」という時にモレスキンに手が伸びることが多いようだ。

ハードカバーのモレスキンノートは、なんだか自分が書いた「本」みたいに感じられて、大事なものをしっかり守ってくれる宝箱みたいな安心感がある。そして、失礼ながら、現代的な改良を重ねられていないような(実際どうなのかは知らないです、すみません)、素のまま感&クラシカルな感じが好きだ。結構裏抜けするから使うペンも限られる。でも、どうも私はこの紙の勝手の悪さも好きなようなのだ。

いろいろ使ってみた結果、モレスキンのハードカバーノートの場合はLargeの使い心地が好きだとわかり、それ以降は、どんなに可愛い!欲しい!と思うデザインの限定ノートが出ても、Large以外のサイズはグッと我慢して買わないようにしている。私にとって、やはりノートは「使うもの」。いつか使うためにストックするのは良いのだが、コレクションとして持っているだけだとモヤモヤしてしまうのだ。

限定ノートでどうしても気に入ったものが出た時は、我慢せずに買っておくようにしている。というのも、もう4、5年前になると思うが、ニューヨークで演劇「Sleep No More」の会場で売っていたオリジナルモレスキンノートを中途半端に我慢して買わずに帰り、いまだにそれを後悔しているから。。(^_^;) 我慢した方がいい時としない方がいい時の判断って、何歳になっても難しい。けど、我慢の基準を自分の中で決めておけば、後悔を最小限に防ぐことはできると思うのだ。

 

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